二度見たくなる!映画《ミッドサマー》14の伏線解説&裏設定の考察【ネタバレ注意】

二度見たくなる!映画《ミッドサマー》14の伏線解説&裏設定の考察
二度見たくなる!映画《ミッドサマー》14の伏線解説&裏設定の考察

アリ・アスター監督の長編第2作《ミッドサマー》。

もうとにかく、この監督のすべてが好き。Likeじゃない、LOVEなのよ。

アスター監督のココが好き
  • 自分の過去のトラウマを、強烈かつ生々しく描くスタイル
  • 良いんだか悪いんだか分からない、苦い後味のストーリー
  • キューブリックを彷彿とさせる、一点透視の美しい映像
  • ……

挙げたらキリがないです。

個人的には、《パラサイト》より《1917》より、30倍くらい楽しみでした。

前作《ヘレディタリー 継承》も、ホラー映画とは思えない伏線の数々と、そのすべてを回収していく爽快感がありましたが、《ミッドサマー》も同じでしたね。

映画の序盤から、伏線やら設定やらがエゲツない。そして何より、暗い。

その伏線も《ヘレディタリー》より分かりやすく、初見でも十分楽しめるという意味で、前作を超えていたと思います!

どっちも大好きですけど。

さっそく、《ミッドサマー》の伏線と、深~~い設定の数々をご紹介します。

ぶっちゃけネタバレな「タペストリー」

映画の冒頭で映される、以下の1枚のタペストリー。

よ~く見てみると、映画の展開が結末まで描かれていて、がっつりネタバレしちゃってます。

絵を左から順に見ていくと…
  • 冬の絵にダニーとその家族が描かれ、家族は全員死んでいる
  • ダニーは、自分を慰めるクリスチャンとその友達に連れられ、ホルガを訪れる
  • ホルガは太陽が照り続ける白夜で、その下で女性たちがメイポールダンスを踊っている

このタペストリー、ほとんど結末までの一枚絵です。

あまりにも抽象的、かつ予言的で、初見ではただただ不穏にしか感じられません(笑)。

ダニーたちが寝泊まりしていた小屋の壁画も…。

もう1つ。下の壁画も、よ~~く見てみてください。

  • 真ん中にメイ・クイーン
  • その周りには9人の人間
  • 6人は普通の生贄
  • 2人は裸の生贄
  • 1人は炎の中

この描写も、初見だと意味深なだけですが、2回目に見ると「なるほどね」ってなりますよね。

アスター監督は、

預言的かつ補足的な要素を散りばめることに僕は喜びを見いだしている。

《ミッドサマー》映画パンフレットより

んだそうです。

観客に結末を予期させておいて、その期待を上回るところが凄いですよね。

アッテストゥパン=飛び降りの儀式

アッテストゥパンとは、スウェーデン語で「崖」を意味する言葉です。

《ミッドサマー》では、ホルガにおける輪廻転生(=飛び降り)の儀式として描かれていましたね。

北欧神話では、「自分で自分の世話をできなくなった老人が崖から飛び降りる」という話があります。

また、スウェーデンには「無理に介護するくらいなら、食事も水も与えず自然な形で看取る」という風土もあるそう。

しかし、それゆえに、寝たきりの高齢者は非常に少なく、亡くなるまで自立している方ばかりのようです。

《ミッドサマー》製作のため、北欧文化を大量に研究したアスター監督は、この儀式や風土をホルガの風習として取り入れています。

日本にも姨捨山(おばすてやま)の話がありますが、こういう話は世界共通なのでしょうか…。

ルーン文字が書かれた石碑の謎

老人が身を投げる崖のほとりにある、ルーン文字が書かれた石碑の数々。

思い出す限り、ざっと50くらいはあったでしょうか。

ホルガの「冬」を過ぎた2人の老人は、飛び降りる前に手のひらを切り、血を石版に擦り付けていましたね。

これがアッテストゥパンの儀式の一環だとすれば、石碑の数だけ身投げした人がいるということ。

今回、ダニーたちが訪れたのは90年に一度のお祭りの時期でしたが、飛び降り自体は定期的に行われているという説が有力です。

近親交配で生まれた障害を持つ人間「ルビン」

映画の中盤、一瞬だけ「奇形」と思しき人間が映り、「これは近親交配してるんじゃ…?」と思いましたが、やっぱりでしたね。

自分が初見で気づいた、数少ない伏線の1つです(笑)。

ものすごく簡単にまとめますと、近親交配によって生まれた子どもは「先天的な障害を持ちやすい」とされています。

しかしながら、ホルガでは、村の中だけで完結した(いわゆる、外界との接触が一切なく穢れていない)人物を「ルビン」と称し、特別な存在としています。

ルビンだけが、ホルガにおける聖書「ルビ・ラダー」を書き続けることができるため、村の存続には欠かせない存在です。

ルビ・ラダー

ルビン(Rubin)の指導書(Rudder)

ルビンは、いわゆる、籠の中の鳥。

外部の人間が定期的に訪れるホルガで、ルビンは幸せな人生を送れるのでしょうか…。

近親交配の補足

近親交配は、かつてはタブーという認識はありませんでした。

  • 同族同士の結婚を繰り返した、スペイン・ハプスブルク朝
  • 天武天皇と姪の持統天皇の息子である、草壁皇子

といった皇族や貴族ほど「地位や財産を守るため、近親交配を盛んに行っていた」という記録も残されています。

北欧における「熊」は崇拝の対象

かつて、北欧における「熊」は、強さや繁栄の象徴であり、また崇拝の対象でもありました。

ホルガの祝祭でも、熊は重要なキーワードでしたね。

《ミッドサマー》と「熊」といえば、クリスチャンが熊の毛皮を被せられて、生きたまま焼かれるクライマックスのシーン。

クリスチャンが熊の毛皮を被せられた理由として、以下の4つが考察できます。

4つの説
  1. ホルガの子孫繁栄に役立った、男(強さ・繁栄)の象徴
  2. 生贄に選ばれた名誉を讃えている
  3. ダニーを見捨てたクリスチャンは人間以下」と暗喩する説
  4. 人間には裏がある(見た目はイケメン、しかし中身は獣)と例えている説

ホルガ的には①か②で、性格の悪いアスター監督(褒め言葉)的には、④もあるのかなと考えています。

ダニーからすれば、クリスチャンは自分を裏切った最低最悪の男。

しかし、ホルガの人々からすれば、村の存続に欠かせない人間だった。

そう考えると、わざわざ熊の毛皮を被せたのは、死者を敬う「供え物」だったのかもしれませんね。

クリスチャンとマヤの子どもはどうなる…?

クリスチャンとマヤの間に生まれた子どもって、ダニーからすれば超・邪悪な存在ですよね。

そうなると、後日譚も不穏です(笑)。

イチイに痛み止めの効果なんてなかった!

個人的にものすごく好きな描写が、イチイの痛み止めの効果を信じたホルガの人が、身を焼かれ、あまりの痛みに悲鳴を上げるシーン。

土着信仰の強い村ですし、クリスチャンにだけイチイを飲ませなかったところを見るにつけ、「門外不出の神秘的な薬があってもおかしくないんじゃ…???」と一瞬信じかけましたが、結局、死ぬ時はみんな平等に痛いんですよね。

イチイカラツクッタ,イタミカンジナイ

と呪文を唱えていたあの人も、最期はアッテストゥパンか焼かれて痛みを味わうのでしょうか。

諸悪の根源「ペレ」

ダニーたちをホルガに誘い、「クリスチャンはふてぇ野郎だ」とダニーをそそのかし、ダニー以外の全員を生贄に捧げた、留学生のペレ

お前が諸悪の根源だったとは!!

このおっとり&爽やかなスウェーデン留学生に、見事に騙されました(笑)。

ペレは、映画の中で何回も、

「僕も両親が死んだから、君の気持ちが分かる。」

と、ダニーを何度も慰めてくれたり、

「僕の両親は、2人とも焼け死んだんだ。」

と、悲劇的な過去を自ら語ってくれてもいました。

最初は「あれれ~?クリスチャンよりいいヤツじゃ~ん??」なんて思ってましたが、はい、ペレの両親、神殿で焼死してますね。

初見じゃ分からないけど、二度見たらその衝撃に唖然とする、最高の伏線です。

アスター監督、こんな僅かなセリフにも伏線を張る人でしたワ。

ダニーの家族、ホルガの人に殺された説

ダニーの家族は、ダニーを除く全員が、一酸化炭素中毒で亡くなっています。

これ、ホルガの人たちが仕組んだんじゃないかと思うんです。

その理由として、以下の3つが考察されます。

ダニー一家を殺したのはホルガの人々?
  1. 妹は以前から自殺をほのめかしていたが、自殺直前のチャットに、ダニーは違和感を感じていた。つまり、別人が送信した可能性がある。
  2. ダニーがホルガに来ると知り、男連中の中でペレだけが喜んでいた。ダニーをメイ・クイーンにできるから。
  3. ホルガ出身のペレは、クリスチャンをダニーから引き離そうとしていた。ダニーをホルガに溶け込ませる策略。

こんなところですかね。他にもあるかも…。

結局、ペレのやろうは、友達よりもホルガ優先だったんです。

クリスチャンや他の友達のように、彼もまた、優しく見えて、実は利己的な男でした。

ペレにとって「ホルガは家族」ですから、優先順位(?)としては、まぁ間違ってはないんですけど。

でも、他人を騙して殺さないと続かないコミュニティって、どうなのって思ってしまうよね。

マークは密かに殺された

ウィル・ポールターは、ニクい奴を演じたら最高の俳優ですね。大好きです。

そんな彼が演じたのは、ホルガの神聖な倒木に立ちションした上に、まったく反省しない男「マーク」。

直接的な描写こそありませんが、彼はホルガの女性に「見せたいものがある」と誘い出されたのち、密かに殺されてしまいました。

最期は《悪魔のいけにえ》のごとく、顔と下半身の皮を剥がされてましたね。

そんなマークですが、序盤では「女なんて孕ませちまえ」とか言ってましたし、最期は局部にきつ~いお仕置きでもされたのでしょう。

酷いことをしてヘイトを集めた人物が、最期は因果応報的に殺されるというホラー映画のお約束に忠実で、なんか安心しました(笑)。

ただ、立ちション以外に彼の胸クソ悪い描写はありませんし、若気の至りとも言えますよね。

私たちの感覚からすれば、邪悪ではないんです。

彼も、ホルガ(というかペレ)にしてやられた、不幸な人間だったのです…。

白夜によるサイケデリックな体験と(浅い)友情の崩壊

直接的な伏線ではありませんが、真夜中になっても太陽が沈まない「白夜(びゃくや)」の中でストーリーを展開させたことも、アリ・アスター監督の狙いだったのです。

ダニーたちは、時間の感覚がどんどん狂っていき、

  • 昼なのか夜なのか、まるで分からない
  • ディナーの時間なのに、昼間のように明るい

という、サイケデリック(幻覚的な)状態に陥っていきます。

時差ぼけでさえ気持ち悪くなるのに、白夜という異常な時間感覚のもとでは、誰もがストレスフルですよね。

そのストレスは、実は浅かった友達関係を、あっさり崩壊させます。

クリスチャンがジョシュの論文のテーマを横取りしたことが、その代表例ですね。

メリットがあるから友達でいるだけ。いざという時は裏切る

という人間の腹黒さも見せつけてくるのが、アリ・アスターという監督なのです。

また、ホラー映画・サスペンス映画としてもメリットがあり、

  • 「真昼間のサイコ・サスペンス」という真新しさ
  • 時間感覚の矛盾からくる、違和感や不安感

などを観客にお届けできるため、ホラー描写的にもグット・アイディア。

この映画を観た人が夢の中にいるような感覚に陥ってくれたらうれしいよ。

《ミッドサマー》映画パンフレットより

と、監督が語る通りです。

観客を、ダニーと同じサイケデリックにさせられる上に、

  • 「暗くないのに怖い」という矛盾
  • 真昼間のホルガの美しさ

この2点を両立するために、白夜は効果的に使われています。

《ミッドサマー》は恋人との別れから生まれた

《ミッドサマー》は、アスター監督自身が恋人と別れた体験から生まれた作品です。

当時、恋人と別れたばかりで、それを描写する手段を探していたんだ。

《ミッドサマー》映画パンフレットより

そしてダニーは、アスター監督の経験を体現するキャラクターだそうです。

どれだけつらい失恋だったんでしょうか。

そして、そのトラウマを作品に昇華させて克服するという「作家性を全面に押し出す」ような作風が、アリ・アスターの監督術です。

《ミッドサマー》はハッピーエンド?

《ミッドサマー》は、自力では断ち切れない人間関係のしがらみを、偶然まとめて断捨離できちゃうという、実はハッピーエンドな映画なのです。

「これは『ヘレディタリー 継承』と同じで、僕自身のトラウマを癒すためのおとぎ話なんだ。」アスターは言う。「だからハッピーエンドなんだよ」

《ミッドサマー》映画パンフレットより

前作《ヘレディタリー》も、アスター監督の家族の不幸というトラウマを、映画の中で家族をメチャクチャに崩壊させることで解消している、ある意味ハッピーな映画です。

どちらも「家族」と「不幸」という点が共通しているあたり、アスター監督のトラウマの深さが伺えますね…。

観客全員、アリ・アスターの手のひらの上

《ヘレディタリー》と《ミッドサマー》の作りで分かる通り、アリ・アスター監督は「伏線」が大好きなお方ですよね。

それも「綿密な」伏線です。

アスター監督いわく、やっぱり「伏線を張るのが大好き」なんだとか。

避けられない運命や変えられない結末に向かっていく場合、またジャンルでストーリーの行方がすでに定まっている場合、今回の映画みたいに預言的かつ補足的な要素を散りばめることに僕は喜びを見いだしている。

《ミッドサマー》映画パンフレットより

《ヘレディタリー》も《ミッドサマー》も、観客は結末をほぼ予想でき、その結末を期待できる作りになっています。

だからこそ、途中に張る伏線を綿密に計算して、観客に予言的なヒントを与えて期待感を煽った上で、期待通り(というか、期待以上)の結末で幕を閉じさせるのです。

「予想通りなのに予測不能」という矛盾が、アリ・アスター監督作品の面白さですね!

《ミッドサマー》考察の終わりに。

《ミッドサマー》は、ダニーが経験する失恋や喪失感の大きさを、ダニーが感じた規模で表現している作品です。

この映画は「アスター監督の失恋から生まれた」と紹介しましたが、もう少し深堀りすると、「アスター監督の<失恋直後の生々しい体験>から生まれた作品」です。

友達は、「まぁ、よくあることだから立ち直れよ!」というかもしれない。でも別れた本人にとっては世界が終わる、自分が死んでしまう、終末が来てしまったかのような気持ちだと思うんだよ!

《ミッドサマー》映画パンフレットより

と語るのは、アスター監督本人。

監督はきっと、この「世界が終わるほどの失恋」を経験したのでしょう。

派手に失恋、ないし失敗した直後って、

復讐したい

とか、

不幸な目に遭わせたい

とか、はたまた、

自分の記憶を消したい

って思ったりしますよね。

その願望が、偶然にも全部叶っちゃう映画が《ミッドサマー》なのです。

この映画は、ダニーのような喪失を体験したり、居場所がなくて孤独を感じていたり、心に闇を抱えていたりする人ほど、不思議な解放感に包まれるんじゃないでしょうか。

映画《ジョーカー》を観て、自分のことのようにつらくなり、また、すべてから解放されたアーサーへの憧れに近いものを感じました。

ダニーは最後、自分が抱えていたしがらみをすべてを燃やして、満面の笑みを浮かべます。

ダニーのように孤独を感じている人ほど、《ミッドサマー》は癒される映画だったと思います。

この矛盾もまた、自分がアリ・アスターを大好きな理由の1つなのかもしれません。

6 件のコメント

  • こんにちは。

    映画を見て違和感を感じたのは『祝祭は90年に一度』という説明です。
    大量にあるメイクイーンの写真(モノクロからカラー写真まで)石碑の数、そしてペレの両親の焼死。
    約100年に一個で50個近くあるのなら祝祭は5000年も続けられてたことになります。
    ペレは大学の留学生です。両親は生きていれば5.60歳。ペレは20代半ばといったところでしょうか。ペレが何歳の時に両親が死んだかは明言されていませんでしたが、熊と一緒に焼かれたのはここ20年程度の近々の話ということになります。
    また、崖の上の石碑には割と生々しい血の跡があります。10年程度でも風化してしまうはずなのにです。
    さらに、宿舎には赤ちゃんの泣き声が昼夜問わず響いています。儀式によって外の血を入れるのにはずなのに、若い命が誕生してるのは1年程度前にも祝祭が行われたということではないでしょうか?

    外の血を入れるのは祝祭でなくてもやるのかもしれません。でなければ90年に一度しか外の血を入れられなくなってしまいますし。メイクイーンは通常の夏至祭でも選ばれるのかもしれません。
    謎は深まるばかりです・・・。

    • 高槻高校の国語科で映画好きを公言、且つ実行、且つ推薦している者です☆。デイレクターズカット版故、三時間の尺でしたが、一瞬たりとも見逃せない美しい映像でした。一つ質問なのですが黒人院生がルーデン19巻の撮影をしている際に現れた友人はオシッコをした学生でせうか?若しくはイギリスからのカップルの男性でしょうか。お時間ある際に教えてください。見応え十分、堪能させて頂きました。

      • カトコドさん
        素敵なコメントをいただき、ありがとうございます。
        しばらく更新が滞り、かなり遅くの返信となってしまいました。
        申し訳ございませんでした。

        ディレクターズカット版、私は劇場で見ることができませんでした…。
        通常版でも150分あるのに、まったく飽きさせず、余韻もず~~っと感じていたほどですから、180分ともなると、もう、想像を絶するほどの至福の時間になりそうです…。
        アスター監督が見せたかった(でもグロい、などで見せられなかった)シーンが詰め込まれているはずですから、私もいつか必ず見ます。

        >>黒人院生がルーデン19巻の撮影をしている際に現れた友人はオシッコをした学生でせうか?若しくはイギリスからのカップルの男性でしょうか。
        このシーンはうろ覚えで恐縮なのですが、マーク(オシッコをした学生)から剥いだ表皮を身につけたホルガの人間、だったと記憶しています。

        何回も見て咀嚼できる作品ですので、いろんなシーンの疑問が解けるまで、この先も何回も鑑賞したいと思います。

    • infinityさん
      コメントありがとうございます。

      う~~~ん。納得する部分がたくさんあります!すごく深い考察ですね。
      今回は90年に一度(とされている)の一大イベントに参加した時の出来事ですが、それ以外の時期にメイクイーンの選定や外の人との交配がないとは言われていませんからね…。
      90年に一度という説明自体が嘘かもしれませんし、小規模な行事として1年に一度ないし定期的に行われているのかもしれませんね。
      だとすると、あえて「90年に一度」と煽りを付けなくてもいい気もしますし、これは何のことを指していたんでしょうかね…?
      論文を書きたいクリスチャンたちの気を引き、生贄に捧げるためのウソ……?

      昼夜問わず赤ちゃんの鳴き声がしていたことについては、最近にも交配が行われていた説と、ホルガの人々が外から誘拐してきた説も考えられますね。
      ダニーの両親を殺したのがホルガの人たちだと仮定すると、物心付く前の他人の赤ちゃんを誘拐してホルガで育てることも平気で行ってそうです。
      どちらにしろ怖い話です…。

      infinityさんのコメントで、また映画を観たくなりました!!
      他のブログなどでいろんな方が素晴らしい考察をされていて、この記事が全然未熟に見えたりもしますが、こちらもお読みいただき、またコメントもしてくださり本当にありがとうございます。

  • アッテストゥパンは劇中で72歳に達したものがいる度に行っていると言っていましたね!
    あと、クリスチャンが近親相姦についてペレに聞いたところ「〝たまに〟外の女を入れるんだ」と言っていました。今回はその対象がデニーだったのだと思います。
    セリフでは無かったですが、男も同じような気がします。

    • はなさん
      素敵なコメントをありがとうございます。
      更新が滞ってしまい、相当遅くの返信となってしまいました、申し訳ございません。

      アッテストゥパンは、72歳ごとの儀式・風習で確定のようですね。
      また、外部の人間を”たまに”入れることにつきましても、初見の時からずっと「90年に一度」という言葉に引っ張られすぎていました…(笑)。

      二度ないし三度見て分かったり、新しいことに気づける部分も、まだまだたくさんありそうですね。

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